2013/1/20記事公開
2021/10/22 追記
むつ湾・インターナショナル・スピードウェイ
所在地:青森県上北郡野辺地(のへじ)町
距離: 4.5km/4.8km(いくつか表記がある) 実測約3.8km / ショートコース 約3km
ホームストレート:1600m
コース幅:20m
コーナー数:4(公称値)
4輪 左回り / 2輪 右回り
(国土地理院 70年代の航空写真より) |
青森県の上北郡野辺地町に存在したサーキット。
サーキットレイアウトは1.6kmのホームストレートを有しており、コーナーのRも比較的大きく超高速レイアウトである。
しかし、コース脇がすぐ海な為、砂や海水がコースに入り込み、水没することもあった。
オープニングレースとなった1972年ストックカーレースの際は、突貫工事の末に行われたためコース上もコンクリートウォールの代わりに土のうが積まれたり、路面のアスファルトが1層で下地の砂利が出てきたり、当時の写真を見ても建設途中のような様子が見受けられる。
オープニングレース
1972年 第1回むつ湾国際級ストックカー300kmレース大会
実際、開催当初の72年7月の時点では未完成だったようで、JAF公認はオープン後から少々遅れた模様。
その際にコースレイアウトについて"出来ればもっとテクニカルなものにするように"という指導がJAFから入ったということもあったようだ。
1973年のむつ湾グランド200マイルレースでは、もう1層アスファルトが追加されたようだがそれでも路面の凹凸はひどかったという。
(コース図、ただし実際のコースの形と異なる オートテクニック 1972年8月号) |
(コース案の一つ? AS 1972/6/15) |
現在の国土地理院の地図サイトで距離を測ると、メインのコースは約3.8km程度だったと推定される。
海沿いの1.6km(※)のホームストレートを抜けると、1コーナーは左125R、5度のバンクの上りのコーナー。
2コーナーは公称400Rとされているが、それ以下の2つのRのコーナーが組み合わされていると言われている。
3コーナーは右の400R、コース中間がくびれのような形になっている。
最終コーナーである4コーナーは入り口で右に少しターンしたあと、125R(公称)・バンク15度の左コーナー。外側はJR大湊線の線路と面している。
4コーナー出口付近は狭くなり20Rの下りコーナーである。
3コーナー辺り、最終コーナーから約500mの辺りにショートカットコースも作られる予定だったが、オープニングレースの時点では作られていなかった。 最終的に作られたかどうかも不明。
(※一部ホームストレート1.8kmという記述もあるが1.6kmが正しいと思われる)
(コース写真 オートテクニック 1972年8月号) |
サーキットのオーナーは農事組合で元々「むつ湾観光牧場」という牧場を経営しており、その中には遊園地、動物園などがあったが隣接した土地にサーキットを建設するという流れになった。
コース設計は立原義次氏。
当時東北にサーキットが無く貴重な存在であった他、更に北海道スピードウェイが閉鎖された事もあり、北海道のドライバーが海を渡って本州のむつ湾に遠征しにくる事も多かったようだ。
(むつ湾グランド200マイルレースの様子 オートテクニック 1973年10月号) |
超高速レイアウトであったが、二輪のオートバイレースも開催されている。
1972年の「第1回むつ湾オートバイグランプリ」はロードレース日本選手権の1戦として行われている。
オートバイレースでは右周りで使用された。 順走左回りの最終コーナー出口付近は下り坂になっているため、逆走にすると上り坂になって減速しやすいというのが理由だったようだ。
四輪のGCレースでも右回りやホームストレート上のシケインなどが検討されたようだが、本来の左回りのまま変更なしで行った模様。
1973年むつ湾グランド200マイルレースの様子
1973年のレースは8月で終わってしまったという。というのも9月は雨が多く、更に海岸沿いのためコースが使用不能になることが多かったようだ。
このような地理的な不利に加えオイルショックも相まって1973年で閉鎖されてしまったようだ。
現在コースの跡のようなものがうっすら残っている他、グランドスタンドの廃墟が残っている。
むつ湾・インターナショナル・カートウェイ
(国土地理院 70年代の航空写真より)
|
むつ湾スピードウェイに併設されたカートコース。
スピードウェイが閉鎖された後も使用されていたが、動物園閉鎖と共に閉鎖された模様。
オープニングレースは
「むつ湾スピードウェイ開場記念ねぶたまつり '72日本カートプリ大会」(1972/8/5-6)が青森県、青森ねぶたまつり協賛で開催されたという。
これがJAFが開催する日本初の"カートプリ"である。
スピードウェイが閉鎖された後も使用されていたが、動物園閉鎖と共に閉鎖された模様。
オープニングレースは
「むつ湾スピードウェイ開場記念ねぶたまつり '72日本カートプリ大会」(1972/8/5-6)が青森県、青森ねぶたまつり協賛で開催されたという。
これがJAFが開催する日本初の"カートプリ"である。
1972年(昭和47)には国際交流の一環として'72日本カートプリが開催され、1973年(昭和48)には全日本カート競技選手権が開始されています。http://www.jaf.or.jp/msports/intro/his_j.htm
大きな地図で見る
-関連文献-
オートスポーツ
1972 6月15日/10月15日
1973 9月1日/10月15日
オートテクニック
1972 6月号/7月号/8月号/9月号/11月号
1973 10月号
1974 3月号/4月号
日本の名レース100選 '72 むつ湾ストックカー
日本モーターレース創造の軌跡
-関連リンク-
二輪文化を伝える会 - むつ湾インターナショナルスピードウェイ
ヤマハニュース 1972年10月号 / 第1回むつ湾オートバイグランプリ
むつ湾のカートコースのレイアウトを見るのは初めてです。伝説というより口碑、伝承レベルの霞のかなた。ありがとうございます。
返信削除私も恥ずかしながら、カートコースの存在はむつ湾の自動車サーキットを調べるまで知らなかったのです。
削除むつ湾スピードウェイに関する数少ない文献や、インターネット上の記録を集めても、四輪サーキットの方の記述のみしか残っていないので、こういった形でインターネット上に記録していきます。
実際にも日本の大きいカートレースの賞典がかけられた初めてのレースだと思うので、日本のカートレースの歴史の中でもかなり大きい存在なのではないでしょうか。
こういった物は誰かが語り継がないと埋もれて忘れ去られてしまうと思います。
実際に当時関係した方や、走行した方などの話も聞いてみたいというのが正直な気持ちです。
せめて、インターネット上だけでも存在を残して行きたいなとこのブログを設立しました。