カート(Kart)が発明されたのは1956年8月。
アート・インゲルス(Art Ingels)・ルー・ボレッリ(Lou Borelli)によってアメリカのロサンゼルスで製作された。
インディカーなどのレーシングカービルダーだったアート・インゲルスは後に「カートの父」とも呼ばれている。
その小さなレーシングカーはカリフォルニアのレースですぐにお披露目され、そこから急速に広がっていった。
日本にカートが導入されたのは誕生から意外にも早く3年後の1959年で駐留米軍人が日本に持ってきた。
埼玉県朝霞市にあったキャンプ・ドレイクでカートレースで開催されたのが最初のカートレースだという記述がある。
ちなみにアメリカからヨーロッパにカートが導入されたのもほぼ同時期らしい。
最初は米軍人が中心となってカートレースを楽しんでおり、基本的に各基地内の敷地を使って走行を楽しんだりカート大会を開催したりしていたようだ。
最初は米軍人が中心となってカートレースを楽しんでおり、基本的に各基地内の敷地を使って走行を楽しんだりカート大会を開催したりしていたようだ。
1960年には"関東カーターズ カートクラブ"という関東圏の駐留米軍人や公務員などのカート同好者によるクラブが結成された。
調布飛行場に作られたカートコースの図(モーターファン 1960年6月号) |
1960年 関東カーターズによるキャンプ座間でのカートレース (Pacific Stars And Stripes / 1960-9-13) |
同じく1960年には日本人によるカートクラブ"東京カーターズ"が結成。
これらのクラブは"Kart Club of America"を参考にした"日本カートクラブ" (Kart Club of Japan:KCJ)というカートの統括組織を作った。
当時カート国際統括団体としてアメリカで最初に結成されたIKF(International Kart Federation)のレギュレーションに準拠して日本でのカートレースを運営していたという。
他にも在日米国人カートクラブが数団体が存在していた模様。
これらのクラブが定期的にカート場として使われていた場所が朝霞市のキャンプ・ドレイクにあった。
場所はモモテビレッジのモモテ兵器保管庫という場所にあった"朝霞カートウェイ"と呼ばれているカートコース。1961年の9月に作られたという。
朝霞でのカート走行風景 (CARマガジン 1964年10月号) |
朝霞カートウェイ (1961年~1969年の航空写真より) |
全日本カート大会
1962年5月28日には「第1回全日本カート選手権大会」が開かれている。
場所は神奈川県川崎市の多摩川河川敷にあった東急自動車学校の教習所で、ここはもともと多摩川スピードウェイの跡地である。
多摩川のサーキットが廃止された後は多摩川スピードウェイのオーバル跡地周辺を使って教習所コースが作られていた時期がある。
東急自動車学校(多摩川スピードウェイ跡) (1963年 国土地理院) |
第1回全日本カート選手権大会の様子 多摩川スピードウェイのスタンド跡が見える |
このレースについての記録は少ないが、日本で行われた大々的なカート大会としては初めてだと思われる。
参加台数は46台で、半数が駐留している米軍人だったという記述がある。
最終レースは雨のため場所を変えてレースを行ったらしい(場所は不明)。
第1回全日本カート選手権大会 優勝者
クラス1 / クラス2:エラート軍曹
クラス3:バックランド軍曹
クラス4 / ブッシング:植松善雄
女性レース:モートン夫人
ジュニア:ロニー・モートン
2回目の大会は1963年5月12日に富士急ハイランドの前身である富士五湖国際スケートセンターに作られた"富士急行ハイランド・カートトラック"で開催された。
このサーキットはIKFの国際規格に沿って作られた日本最初のカート場とされる。
富士五湖国際スケートセンター(カート場はまだ建設されていない) (1962年 国土地理院) |
富士急ハイランドのコースはIKFの国際規格に沿っており、"3分の1マイル(約530m)のコースに、60度以上のカーブを9ヵ所以上設け、ストレートは100m内外に押えて最低の安全性を保証するよう義務づけられている"と当時のコース紹介文にある。
第2回全日本カート選手権大会 優勝者
クラス1:ドナルト・エラート / 関東カータス (注:第1回優勝のエラート軍曹か)
クラス2:中村たけ彦 / 新宮商行ク
クラス3:リチャード・ショル / 関東カート
クラス4:マイケル・ルビン / 関東カート
クラス5:藤間吉弘 / 日本カート
ジュニア:藤井憲 / 日本カート
女性:栗田弘子 / 日本カート
第2回日本チャンピオン 中村たけ彦
第2回大会の参加台数は60台で、やはり半数の30台は駐留米軍軍人。
IKFの公認を受けたカート場での大会のため、IKFの公認レースにもなった。
この大会でチャンピオンになった中村選手は同年8月に行われたアメリカ・イリノイ州の世界選手権に日本代表として招待されたそうだが参戦したかは不明。
第2回大会に参戦したカート車両 (モーターファン 1963年7月号) |
この後"全日本カート選手権"が何度開催されたかは今の所わからないので、新しい事が分かり次第更新していきたい。
全日本選手権と銘打たれているのに記録が少ないのは、カートレースがJAF管轄になる以前の大会だからである。
カートの統括組織がJAFに移管されたのは1972年の事で、それ以前はアメリカで作られた初のカートの国際統括組織であるIKFの規定に沿った日本カートクラブ(Kart Club of Japan)が日本のカートレースを統括していた。
時が経ち1972年にはむつ湾スピードウェイのカート場で"日本カートプリ"が開かれ、1973年にJAFによるカートの全日本選手権が開かれている。
現在主流になっている統括団体のCIKは1962年に結成されている(2000年からFIA加盟団体になる)
当時日本カートクラブの会報誌があったそうなので、会報誌が今も現存していれば当時の光景がもう少し分かるかもしれない。
-関連文献-
・モーターファン
1960年6月号
1962年8月号
1963年4月号 / 7月号
・CARマガジン
1963年2月号
・自動車ジュニア
1964年4月号
・Pacific Stars And Stripes
1960年6月24日 / 9月13日
1961年12月30日
1962年1月18日 / 4月12日
1963年1月27日
・国土地理院
-関連リンク-
スケートリンク資料室
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