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2013年3月9日土曜日

西仙台ハイランド/仙台ハイランド・レースウェイ(宮城県)-未完

西仙台ハイランド・レースウェイ/仙台ハイランド・レースウェイ
2013/03/09記事公開
2021/02/18一部追記

西仙台ハイランド・レースウェイ(現 仙台ハイランド・レースウェイ)は1986年9月13日にオープンしたサーキットである。

サーキットの計画は1985年10月に西仙台ハイランドを運営する㈱青葉ゴルフが計画を発表している。
元々、遊園地やゴルフ場の他にカートコースが先にオープンされており、全日本戦なども開催されていた。

当初の計画では、3715.07mのコースとしていた。
(AS 1986年2月15日号)

その後、後半部分のレイアウトを変更し3761.08mのコースとされている。
(AS 1986年3月1日号)
コースはヨーロッパ式のロードコースで、ブーメランのような形状をしている。
標高差は約20mで、コース幅も12~15mとごく標準的である。
当初からFIAの国際コース公認を取得する為に設計されていた。
つまり、何らかの世界選手権の開催を前提として、設計段階からJAFだけでなくFISA(国際自動車スポーツ連盟)などとも連絡を取り設計されていた。
その為、当初のレイアウトから、安全上の理由の為数度レイアウトの改善を求められている。

(AS 1986年6月1日号より)

当初、1986年5月末にコースが完工予定だったがFISAからの改善指示により、完工が8月、オープンが9月にずれこんだ。
そのため6月に初のビッグレースとして開催予定としていた全日本耐久選手権の開催は無くなっている。

その後、更にレイアウトの改善があり、ついに西仙台ハイランド・レースウェイが完成、1986年9月13日にオープンとなった。
(1988年の航空写真)
結果、コース全長は3771.9m、最大標高差37.3mのコースとなった。


最初のビッグレースとして、翌週の1986年9月20日に全日本ツーリングカー選手権第4戦が開催された。

翌年、1987年WSPCの仙台ラウンド「ワールド・スーパースプリント・イン仙台」は9月27日に富士スピードウェイで行われるWEC-JAPANの翌週である10月4日に予定されていた。
このレースには富士のWEC-JAPANの耐久から一転、名前の通り約360km(96周)のスプリントレースとして、行われる事となっていた。
仙台市と仙台市教育委員会が全面バックアップし、仙台市内のアーケードにてグループCカーの展示やパレードが行われる予定だったなど、仙台市も万全の受け入れ体制で臨んでいた。

しかし、富士のWEC-JAPANの終了直後に急遽仙台ラウンドのキャンセルが決定された。
コースの安全性が確保出来ず、国際レースコースとしての条件を満たしていないため。というのが理由だった。

開催に先立ち、FIAやJAFなどがコースの視察に訪れ、コースの改善点などを指摘しサーキット側も対応していたが、一部FIAとJAFでの改善点の基準の食い違いがあったという事もあり、プロモーターや運営会社の責任だけでなく、JAFなどにも落ち度が合ったのではと当時のモータースポーツ雑誌などでは指摘されている。
国際格式ではなくJAFによる国内格式によるレース開催も考えられたが、結局最初で最後となる仙台ハイランド・レースウェイでの世界選手権は行われることなく終わった。



8:45頃から当時のCM


つづく。

2013年1月24日木曜日

日本海間瀬サーキット (新潟) -未完

日本海間瀬サーキット


大きな地図で見る


日本海間瀬サーキットの歴史は、1967年8月から始まる。
新潟県オート・クラブ(ACNP)というクラブの代表が建設したこのサーキットは、当初はジープなどが走行するダートコースだったという。
国土地理院の航空写真では、1967年9月に撮影された完成したてのコースを見ることが出来る。
この頃は高低差が30m、コーナーの数は22あったという。

1967年9月の航空写真


日本海に面した間瀬サーキットは盆地であるゆえに、集中豪雨などでしばしばコースが水没してしまうという事があった。
その後、1968年6月には片側半分を簡単な舗装にし、株式会社日本海間瀬サーキットを立ち上げた。
そして、1970年5月からサーキット用の特殊アスファルトの舗装工事を始め、ロードコースに生まれ変わった。
ここで、注意したいのは当初は左回りのサーキットだったという。
70年代の航空写真

1971年のオートテクニックには当時の日本海間瀬サーキットの走り方を解説した詳細な記事が掲載されている。
当時のコースデータ



74年と75年には当時大人気だった富士グランチャンピオンレースの車両を持込み、レースをしている。
富士GCのそうそうたるメンバーがこの狭いサーキットを駆けまわったのは新潟の人々にはかなりの衝撃を残したのではないだろうか。
今で言うとSGTの車両が来た感じかもしれない。
75年のレースでは、マーチ73Sを駆る長谷見昌弘が予選で58.9秒のタイムをたたき出し、そのままポールトゥウィンを飾っている。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=3131



2013年1月18日金曜日

富士スピードウェイ / ナスカー・フジ・スピードウェイ (1) -未完


CARグラフィック 1963年 8月号 p115 スポーツ・ニュース 箱根にストックカー レーストラック建設か 

 最近いくつか新しいレースコースのうわさが聞かれるが、もっとも確実なのは箱根に建設されるストックカーレーストラックの計画である。
それは日本ストックカーレース協会と言う団体で、中心的な人物はスズカにも出場した塩沢進午である。
このトラックはスズカのようなロードサーキットではなく、アメリカ流のバンクの付いた楕円形周回コースで、ふだんは自動車による曲乗りを見せて人を集め、時々本当のストックカーレースを開催するつもりと言われる。




CARグラフィック 1964年 7月号 p129 スポーツ・ニュース
静岡県小山に「ナスカー・フジ・スピードウェイ」 

日本でアメリカ式のストックカーレースを開催すべく昨年12月に設立された日本ナスカー社(資本金3億2千万円、代表取締役 森 長英氏)では、御殿場に近い静岡県駿東郡小山町に2.5マイル(4km)の楕円形トラックと6km以上のロードサーキットを持つ「ナスカー・フジ・スピードウェイ」を建設すると発表した。
完成は明年4月を目標としている。日本ナスカー社はアメリカ デイトナに本拠を持つNASCAR(会長ビル・フランス)と技術提携を行い、極東におけるナスカー方式によるレースの独占的開催権を獲得したという。
ちなみに、NASCAR(National Association for Stock Car Auto Racing)はUSAC、SCCAと並ぶアメリカの大きな自動車レース団体で、デイトナ500を初めとする全米のストックカーレースを統轄している。 


NASCAR Fuji Speedway 及び付帯施設完成予想図 (CARグラフィック 1964年 8月号より)