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2016年5月9日月曜日

ジャパン・インディ・モータースピードウェイ / オートテクノポリス(関東/茨城)

2016/05/09記事公開
2019/06/15一部追記
2019/08/07一部追記
関東圏にオーバルサーキット新設年に1回インディ・レース!
 11月6日、かねてから噂に上がっていた、インディ・タイプのオーバル・サーキット建設プロジェクトが発表された。
 これはインディアナポリス・モーター・スピードウェイ・コーポレーション(IMS)とライセンス契約を結んだ共同システム(株)が発表したオートテクノポリス構想の一環となるもので、具体的には関東圏に280ha(85万坪)の用地を確保、全長4kmのオーバル・コース(インフィールドに5.4kmのロード・コースを併設)を建設、CARTのシリーズ戦を年1回招へいするというもので、サーキット以外にも3つのゾーンで形成されることになっている。
 具体的な作業としては現在、3カ所の候補地のなかから建設場所を検討中だが、用地決定の後に、20社ほどの共同出資(約500億円を予定)で新会社:ジャパン・インディ・モーター・スピードウェイ(JIMS)を設立、建設の推進にあたることになって94年完成予定でプロジェクトが進行しているとのこと。
 IMSとの契約調印式にはIMSのアントン・H・ジョージ筆頭副社長が来日、またその後に行なわれた記者発表会にはモータースポーツ関係者以外にも政財界からの出席者も多く、改めてプロジェクトの大きさを認識させた。
 FIA/FISAとCARTの関係など、CARTインディ・カー・レース実現までには解決すべき難問も山積しているが、実現を期待したいものだ。 
(オートテクニック 1989年12月号 p77) 
(イメージ図? CARBOY 1990年) 

そういえば、オーバルコースをつくってインディを日本に呼んじゃおう、という「オートテクノポリス」も、コンサートホールからホテル、ショッピングエリア、レストランと、生活のあるスペースを目指している。ここの建設計画には、オーバルコース以外に5.6kmのテクニカルコースとホッドロッド場ってのがあるんだ。 (中略) 
インディ用のオーバルコースを建設予定の「オートテクノポリス」は、記者会見の席で場所を関東というだけで明確にしなかったが、CB氏によると、ある場所でレンコン畑をぶっつぶそうとしているらしい。で、そこの町長さんがサーキット視察をしているという。キーワードは、利根川、水郷で、このあたりでレンコン畑というと、千葉県には広大なレンコン畑はなさそう、もうひとつのレンコン名産地は茨城県の霞ヶ浦近辺だが。 (CARBOY 1990年  一部抜粋) 

1989年11月の報道によると、施設名は「ジャパン・インディ・モータースピードウェイ」となり、長期的なプランとして、インディ500参戦ドライバー、車による「Japan Indy」を毎年開催するという構想だったようだ。

1992年の後半、サーキット計画が宙に浮くという報道があった。
サーキットの予定地としては茨城県小川町(現・茨城県小美玉市)の百里基地の隣接地が計画されており、建設計画を自治体に提出したものの、当時の町側が百里基地の民間乗り入れの計画を推進したことにより計画自体が不受理になったという。
この頃、ちょうど大分県のオートポリスの運営会社が破綻したこともあり、サーキットビジネスそのものにも疑問視が向けられるタイミングであった事も考えられる。
サーキットを計画していた企業も候補地はここ一本で絞っていたようで、計画が頓挫してしまったという。

2010年3月には茨城空港が開港、官民共用が始まった。




80年代終盤、FISA(国際自動車スポーツ連盟、現FIA)がオーバルレースを基本とした世界選手権を行う構想があり、アメリカのオーバルトラックの他にヨーロッパ、日本の未建設のオーバルトラックが開催地の頭数に入っていた。
The loudest shot in the CART-FISA battle was fired Oct. 10, when FISA's World Council, meeting in Paris, announced plans for an international oval-track series, starting in 1992, with races at as-yet-unbuilt tracks in Japan and Europe and, presumably, the speedway. (ニューヨーク・タイムズ 1990年10月29日http://www.nytimes.com/1990/10/29/sports/auto-racing-indy-takes-a-worldwide-view.html )
ちなみに、この件ではCARTはFISAが揉めており、1989年には富士スピードウェイでの開催がFISAの圧力によって中止になる出来事も起きていた。


結果、日本でのアメリカンオーバルレースは約10年後、1998年ツインリンクもてぎにて行われたのであった。

なお、この計画を主導していた企業は十勝スピードウェイなどの建設にも出資をしている。

-参考-
http://www.upi.com/Archives/1989/11/07/Indy-name-to-be-used-in-Japan-racing/9714626418000/
http://www.nytimes.com/1990/10/29/sports/auto-racing-indy-takes-a-worldwide-view.html
百里飛行場 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E9%87%8C%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
オートテクニック 1989年12月号
オートテクニック 1990年8月号
オートテクニック 1990年9月号
CARBOY 1990年
日本経済新聞 1992年11月9日

2013年2月5日火曜日

都城オートスポーツセンター(宮崎) [追記あり]

都城オートスポーツセンター (仮称)
距離:4.85km
 九州にサーキットふたつ!?
このところ日本各地でサーキット建設計画の噂が絶えないが、最近になって、熊本と鹿児島でも同様の計画が進められている事が明らかになった。
前者は九州産交(本社・熊本市、岡陽一社長)が手掛ける「阿蘇インターナショナル・スピードウェイ」(仮称)。
阿蘇外輪山付近に1周6kmのコースで、レジャー施設を含めた総工費は70~80億円。64年度中に着工し、65年度中にまず東コースを完成させるという。
後者は霧島山麓の山林を利用する「都城オートスポーツセンター」(仮称)。
コースの全長は4.85kmで"阿蘇"と同じくサーキットばかりでなくさまざまな施設を備えた総合レジャーセンターとして建設される。
65年度オープンを目指す計画そのものは関西の企画会社や不動産関係の会社が行なっているが、鹿児島市も全面的に協力する姿勢で、地元、市の資本による新会社も設立され、第3セクター方式で運営されるのが特徴である。
この計画が完成すれば、九州では初のサーキットになる。
(カーグラフィック 1988年 9月号より)
(※昭和64年→平成元年・昭和65年→平成2年) 

宮崎県都城市(みやこのじょうと読む)で計画されていたサーキット計画。
「MAC計画」と呼ばれるレジャー施設の一つだったそうだ。

MAC計画を許可 
 都城にサーキット場やゴルフ場 都城市西岳地区に計画されている総合レクリエーション基地建設(MAC計画)で、都城市は9月30日、大規模開発と林地開発に対する県の許可が同29日付で下りたことを明らかにした。
農地転用の許可を含め、これですべてクリアしたことになり、同市は平成8年度の完成に向け、順次工事に取り掛かる。
総事業費は3百億円以上見込まれ、バブル経済が崩壊した今、資金計画について心配する声も。今後の工事の進ちょくが注目される。
 MAC計画は63年にその内容が発表されたあと、2年9月に同市と山田不動産(大阪市)、大林組(同)が出資した第三セクター「マック開発」(資本金1億円)を設立した。
 計画は同市美川、高野町の山林約330ヘクタールを造成、F1クラスの自動車レースが可能な一周4.7キロのサーキット場をはじめ18ホールの本格的なゴルフ場、ホテルなどを建設する。
(92.10.1 宮日)
(http://miyazaki.4zen.jp/007/19/index.html より)
「レジャー産業 1991年12月号」に掲載されている91年末地点でのサーキットのデータとしては、コース距離4.15km、幅員12~15m、観客収容人数は6万~7万人、ピット数は50。
コースレイアウトに関しては掲載されていないが、コースは2つに分け別々に使用でき、コース内側にはカートコースが設けられているという。
レイアウトに関しては、"コーナーが多すぎて高速ギヤのチャンスが少なく、しかも直線が十分でなくてコーナー間が短い(中略)レーサー群には評価されないだろう。"とボロクソに言われている。
国際公認コースにしてはコーナーが多く、よく言えばテクニカルなレイアウト、悪く言えば平均速度が遅く抜けないサーキット。であったことだろう。

現在は予定跡地が「西岳モトクロス場」というオフロードコースとしてひっそりと使われているそうです。


大きな地図で見る

※追記2013/04/11

2013年2月2日土曜日

レイトンモーターランド(栃木など)

※追記 13/02/13

バブル期にモータースポーツ界だけでなく、様々な事業によって名を馳せていたレイトンハウスがバブル期に計画していたサーキット計画。

建財グループ(本社東京、赤城明社長)の場合、F1レースのチーム「レイトンハウス」を抱えていることもあり、モータースポーツ施設建設には積極的な姿勢をみせる。構想によると建設予定地は今市市と一部日光市を加えたやく二百ヘクタールで、このうち八十六ヘクタールをサーキット場に充てる。サーキット内部にはゴーカート、変形サイクル向けのミニコースを設置。
このほかモーターファンや児童・生徒が利用できる日本の交通歴史館、世界自動車歴史館など四つの博物館も建設する方針。総事業費は約百五十億円、建設用地の九割に上る地権者から同意を得ており、二月末には地元の今市市、日光市、県の三者と開発のための事前協議をスタート、平成二年着工、平成四年の完成を目指している。
(時事解説 平成元年1月27日号より)
※今市市は現在、市町村合併により日光市となっている。

F1が開催出来る規模のサーキットの他に、自動車に関する博物館やテーマパーク、その他ホテル、スポーツ施設なども備えた総合的なレジャー施設の計画だったという。
その他、同じようなサーキット場計画を栃木県今市市以外にも、北海道千歳市、熊本県産山村にも建設する計画だったそうだ。

レイトンハウスは89年に以前からメインスポンサードしていたマーチを買収し、レイトンハウス・レーシングとしてF1に参戦し、10月には建材をレイトンに改名した。
F1のスポンサードの他にも、様々な不動産でレイトンブランドを展開していったが、91年のバブル崩壊、更に9月12日には富士銀行不正融資事件で社長の赤城明は逮捕。
93年3月に懲役10年の実刑を言い渡された。

この「レイトンモーターランド」もバブル期を象徴する大規模な計画であったが、バブル崩壊に加え社長の逮捕という事もあり、当然ながらこの計画は頓挫したことだろう。

※追記
この計画が発表されてから、約三ヶ月後には付近の交通渋滞等の問題でこの計画は断念された。
その後、1991年に同地にはレイトンハウスによるテーマパーク建設計画が持ち上がったという。