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2024年2月17日土曜日

札幌近郊のサーキット計画(北海道)

札幌近郊のサーキット計画

 構想の一つは札幌の企画会社、丹羽企画研究所社長の丹羽祐而氏や土地家屋調査士中川博氏、それに一級建築士、JAF(日本自動車連盟)幹部関係者ら札幌の四人グループが三年前からプランニングを進め、札幌近郊に百㌶以上の土地を確保し、一周五千㍍クラスのサーキット場を建設しようという計画。この事業には大手ゼネコンの大林組がかかわっており、さらにサーキット場のオーナー経営者として札幌の民間業者が名乗りを上げ意欲を見せている。目下、土地の手当てに全力を挙げているところだ。
(道新TODAY 1988年5月号)

(道新TODAY 1988年5月号)

これはバブル期に北海道で計画されたサーキットで、札幌市近郊に国際格式のレース場を建設するという計画であった。
サーキットの他に併設施設としてモトクロス場、遊園地、ホテル、キャンプ場などレジャー施設としてもプランニングされていた。

このサーキットで「F1」級クラスの国際レースの誘致を目指すとされ、計画では総工費100億円以上と見積もられ、1988年中に開発申請を行い、翌89年春着工、90年一部オープン、91年に全面オープンと予定していた。また、札幌近郊の立地であれば年間三十万人の観客動員を下回る事はない、という試算が出されている。

当時、北海道内では複数の国際級サーキット計画が進行しており、その中には1993年にオープンした河西郡更別村の十勝スピードウェイや、建財(丸晶興産/レイトンハウス)の千歳市のサーキット計画などがあった。
また、1985年には北海道虻田郡倶知安町に北海道スピードパークという約1.4kmのサーキットがオープンしたことで、道内だけでなく飽和状態でサーキット走行枠が確保出来ない本州のドライバー・ライダーが北海道のサーキットに遠征するということもあり、そのような本州からの需要も見込まれていたという。

-参考文献-
道新TODAY 1988年5月号
RACING NEWS 1988年4月22日

2018年1月8日月曜日

阿蘇インターナショナル・スピードウェイ(熊本県)

2013/04/24 記事公開
2018/01/08 一部追記・修正、サーキット建設地を追加

阿蘇インターナショナル・スピードウェイ(仮称)
フルコース:6.01km
東コース:3.91km
西コース:2.18km

(モータースポーツ・レーシングサーキット事業開発・運営実態資料集より)

 九州にサーキットふたつ!?
このところ日本各地でサーキット建設計画の噂が絶えないが、最近になって、熊本と鹿児島でも同様の計画が進められている事が明らかになった。
前者は九州産交(本社・熊本市、岡陽一社長)が手掛ける「阿蘇インターナショナル・スピードウェイ」(仮称)。
阿蘇外輪山付近に1周6kmのコースで、レジャー施設を含めた総工費は70~80億円。64年度中に着工し、65年度中にまず東コースを完成させるという。
(カーグラフィック 1988年 9月号より)
(※昭和64年→平成元年・昭和65年→平成2年) 

熊本県阿蘇郡阿蘇町(現熊本県阿蘇市)に建設が計画されていたサーキット。
地元の九州産業交通が主体となっていた。

コース内容としては1989年中に東コースを建設し、第2期工事として続いて西コースを建設する予定だったようだ。

熊本のドライブコースとして有名な「ミルクロード」沿いに建設が予定されていたが、ミルクロード沿いは国定公園の特定地域となっていたため、国定公園絡みの調整でも手間取っていた他、霧も多い地域だったという。

(現在の航空写真とコースを重ねた図)




当時、この周辺では建材(=レイトンハウス)が阿蘇市の西側に隣接する産山村にF1開催規模のサーキット建設計画を発表。
更に北側の県境を超えた大分県上津江村では既にサーキットの着工に入っていた。
これが今の「オートポリス」である。
なんと、オートポリスと阿蘇スピードウェイは直線距離で約6kmの近さであった。

阿蘇市から約15km圏内にF1開催が可能なサーキットが3つも計画されていたという、まさにバブル期のある種狂気じみた程のF1・モータースポーツバブルを象徴するような事柄だろう。

2015年3月7日土曜日

F1 横浜市街地/横浜での市街地レース構想

2015/03/07 記事公開
2020/04/29 一部追記
F1夢のレース横浜で/スリル満点!300キロ市街戦/ 
あのモナコの興奮が…/62年8月に「青年会議所」が誘致/13日に正式提案国際モータースポーツの最高峰「F1グランプリ」を、横浜で開こうと準備が進められている。計画しているのは、あの長島さんを大洋ホエールズの監督にと、熱烈なラブコールを送った横浜青年会議所(浅利治理事長)。十三日の総会で正式に提案されるが、二年後の六十二年八月、横浜スタジアムから、山下公園にかけての市街地道路をコースに組み入れて、港YOKOHAMAにふさわしい世界的イベントにしようと意気込んでいる。(以下略)(東京中日スポーツ 1985年7月6日 1面)

70年代後半、富士スピードウェイで開催された日本でのF1が途絶えたが、その後も諦めずにF1を日本で開催し続けようと努力する動きがあった。
当時は横浜の他、後にF1日本グランプリが開催される鈴鹿サーキットや富士スピードウェイなど日本GPへの誘致は各所で行われていたという。
その中でも、この日本の大都市で行われる市街地レースは関心を引いた。
横浜市街地でのF1日本GP開催は1983年に横浜青年会議所から構想が浮上し、そこから本格的に計画は進行した。
1983年は丁度同時期、別府市街地での全日本F2の開催が検討されていた時期でもある。
同時期に日本の都市での市街地レース開催の機運が一部で高まっていたのである。

横浜青年会議所は当初山下公園前をホームストレートにするレイアウトを構想していた。
しかし、実際には神奈川県警や病院の正面を通っていたり、ピットロードや観客席などの設置が不可能だったようだ。
山下公園の周りで開催するプランはそもそも実現するにはあまりにも困難だった。
横浜市金沢区の工業団地、港北ニュータウン、大黒埠頭などが検討されたが、どれも騒音問題などがネックとなり選定は困難を極めた。

(横浜スタジアム・山下公園周りでの案 [カーグラフィック 2006年1月号])

そこで新たに提案されたのがみなとみらい地区である。
みなとみらい地区は三菱重工の造船所や国鉄の貨物駅、操車場などが存在した埋立地の再開発で建設された街である。
当時は着工されてから間もない頃であり、街どころか土地も全く完成していない状態である。
公道サーキットには様々な条件も求められるが、まっさらな土地では自由度も高いであろう。
事実、みなとみらいでのレイアウトも幾つか思案され、最終的には日本のトップドライバーの監修を受ける予定があったという。

新しい街の発展や、国際都市としての横浜というPRも含めたみなとみらいでの市街地レース開催である。
当時のF1市街地レースへの視察や、横浜でのF1開催での経済効果なども試算され、F1のドン、バーニー・エクレストンとの交渉も進んでいた。

(みなとみらい21での一案 [カーグラフィック 2006年1月号])

しかし、1989年に横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念する博覧会、横浜博覧会の開催が決定。
みなとみらい地区を使用することで、F1開催が不可能になり運営側が延期を決定。
その他、公道を使用する事について警察からの難色も強く、様々な問題が山積みの中、同時期にF1誘致に動いていた鈴鹿サーキットでの日本GP開催が決定し、ついに横浜市街地でのF1レースの計画は潰えた。
(最終案に近いと思われるコース図[Racing On 1987年2月Vol10])

横浜でのF1開催については日本評論社から出版された城島明彦著の"F1の経済学" に顛末が詳しく記載されている。
ここには当時のF1データや、同時に進行していた鈴鹿サーキットのF1誘致などの事も書かれていて興味深いので、絶版本ではあるが興味があればぜひ探してもらいたい。

横浜でのF1開催は消えてしまった。
だが、横浜での市街地レース開催は再び計画された。
2006年にアメリカのオープンホイールシリーズ、チャンプカー開催が計画されているという報道、更に2010年にはALMS(アメリカン・ル・マン・シリーズ)の開催が計画されていたという報道もあった。
チャンプカーに関しては北海道の小樽市での計画とほぼ同時期である。
だが、残念ながらチャンプカーはシリーズ自体がインディカーに吸収され消滅、ALMSについても組織が再編されたりと今となってはカテゴリー自体が消滅してしまっている。
これらに関しては横浜の市議会議員や有志団体によるロングビーチGP、マカオGPへの視察が行われたという。現在も市街地レース開催を目標に掲げ活動しているようだ。

2011年、日本で初めて公道を使ったフォーミュラ1のデモランを行ったのも横浜である。
このイベント開催には当時の横浜市長の後押しもあったという。

ALMSの計画では既にEVカーやHVカーを使ったエコ志向の自動車レースが提言されていた。
そこで時代が追いつくかのように2014年の秋からは電気自動車の世界選手権であるフォーミュラEが始まる。
フォーミュラEは電気自動車で行われるレース故に騒音や公害が少ないレースとして掲げられており、すべてのラウンドが市街地で行われるレースである。
日本に関係の深いチームの参戦や日本国内でのメディア展開から日本でのフォーミュラEレース開催も予想されているが、その中の候補として横浜の名が上がっているのもよく見受けられる。
事実、横浜市の公文書でもフォーミュラEの開催についての提言をしている文面も見受けられ、実際に誘致に向けて動き出しているとも言われている。

幻の横浜市街地グランプリが30年の時を経て現実のものになる…のだろうか。

-参考・関連リンク-
東京中日スポーツ - 1985年7月6日
F1の経済学 - 著:城島明彦 日本評論社)
カーグラフィック - 2006年1月号
Racing On Vol.10 (1987年2月1日)
トーチュウ - CCWSのS・ジョンソン社長に聞く
http://f1express.cnc.ne.jp/interview/index.php?cat_id=241&teiko_id=155838#
タウンニュース - 実現するか「横浜グランプリ」
http://www.townnews.co.jp/0104/2010/04/22/45114.html
(上記記事Internet Archiveのアーカイブ:https://web.archive.org/web/20101101102914/http://www.townnews.co.jp:80/0104/2010/04/22/45114.html)
Wikipedia - 横浜みなとみらい21
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%8421

はまれぽ.com - かつてみなとみらいで計画されていた幻の「F1」構想とは?
https://hamarepo.com/story.php?story_id=5268

2013年4月19日金曜日

大分県別府市特設コース/別府国際モータースポーツカーニバル(大分県)

ここでは国内モータースポーツ初の市街地レース計画「別府国際モータースポーツカーニバル」について取り上げる。

1982年9月のオートテクニックでは別府市で公道レースが行われ、F2かGCレースが行われるだろうといった趣旨の記事が掲載された。

数カ月後には詳細な計画が掲載され、F2レースを国際格式かつ全日本選手権、もう一つグループC等の耐久レース車両でのスプリントレースの2つがメインイベントとして開催される他、スターレット・パルサー・シビック等のワンメイク車両でのレースなども行われるとされている。

当初の計画では、特設コース内での4輪レースを行った一週間後、別府市から北西にある陸上自衛隊十文字原演習場を使い、4輪によるラリー・ダートトライアル、2輪モトクロスなどを行う計画もあったが、こちらは早い段階で計画から外されている。

他にも別府市内でのパレードや自動車展示会、映画上映、グッズ販売などレース以外にも沢山のイベントが計画されており、正しく「モータースポーツカーニバル」と言った様相であった。

計画では、別府市中心部から北東にある別府国際観光港の埠頭とちょうど目の前を通る国道10号線の一部を使う1周2.5km程度のコースの予定だった。
当時港は造成中であった。

レースコース略図 

メインレースとの一つとなっているのは当時国内で人気を博していた全日本F2選手権である。
当時全日本F2が行われていたのは鈴鹿・富士・西日本(現MINE)の3サーキットで、主に鈴鹿サーキットを中心に開催されていた。
この全日本F2選手権の1戦としてこの別府が組み込まれる予定だった。
国際格式での開催との事で、海外から選手などを招聘する意図もあったのかもしれない。
もう一つ、グループC規定でのレースが始まり、熱も高まってきた耐久レース車でのスプリントレースもメインレースとなっている。
このスプリントレースでは全国のサーキットを耐久・スプリント共に行いながら転戦していく「インタースーパースポーツシリーズ(仮称)」というシリーズ戦の1戦として組み込まれる計画だった。

この別府市街地レースを企画したのは別府市観光課である。
温泉旅行が下火になってきており、別府市への観光客が減ってきているという現状から町興しとしてのレース開催の計画であった。
別府では当時からハングライダー大会やマラソン大会などのスポーツ大会も開催しており、そのような流れでモータースポーツも開催出来ないだろうかという流れになったようだ。
当時の別府市長、脇谷市長も1982年のカーグラフィック12月号では
うちは観光都市ですから、人を集めなければならないわけです。ところが温泉地の全国的な傾向なんですが、若い人がだんだん遠ざかってしまっている。(中略)
特に今度は車、車は誰でも関心を持っているでしょうから、これまで以上に多くのお客さんを呼べるでしょう。6~7万人は期待していますね。もちろん、これは1回限りではなくて、少なくとも5年は続けてやりたい。そのために恒久的なコンクリートフェンスなども、市の予算をちゃんと組んで作らなければならないでしょうね。
と市としてもかなり熱心にイベント開催に取り込んでいる事をインタビューで語っている。

市と共に計画を進めていたのがVICIC(ビクトリー・サークル・クラブ)である
VICICは日本各地でレースのオーガナイザー、プロモーターとして活動しており、当時はWEC(世界耐久選手権)を日本に初めて呼び込み、その勢いで日本初の市街地公道レースを実現させようという流れである。
そこにWECジャパンではラジオやテレビなどのメディアでのプロモーションで関係していた広告代理店の電通も企画に参加している。

しかし、1983年のカーグラフィック3月号では早くもレースを1年延期するという記事が掲載された。
ここでは国道を使うことはやめる事になり、観光港の湾内道路と駐車場を使いコースを構成するのは変わらないが、レースを開催するには十分な敷地が確保出来ないということが分かり、拡張が必要との事で一年延期ということになった。

ここからしばらく計画は表沙汰に上がる事はなく、結局1984年1月のオートテクニックでは公道使用の警察との合意が進んでいなく保留という形になり、そのまま計画は頓挫したと思われる。

しかし、この別府のレースが契機となり様々な都市で市街地レースが企画されたとのことだ。



2013年3月9日土曜日

西仙台ハイランド/仙台ハイランド・レースウェイ(宮城県)-未完

西仙台ハイランド・レースウェイ/仙台ハイランド・レースウェイ
2013/03/09記事公開
2021/02/18一部追記

西仙台ハイランド・レースウェイ(現 仙台ハイランド・レースウェイ)は1986年9月13日にオープンしたサーキットである。

サーキットの計画は1985年10月に西仙台ハイランドを運営する㈱青葉ゴルフが計画を発表している。
元々、遊園地やゴルフ場の他にカートコースが先にオープンされており、全日本戦なども開催されていた。

当初の計画では、3715.07mのコースとしていた。
(AS 1986年2月15日号)

その後、後半部分のレイアウトを変更し3761.08mのコースとされている。
(AS 1986年3月1日号)
コースはヨーロッパ式のロードコースで、ブーメランのような形状をしている。
標高差は約20mで、コース幅も12~15mとごく標準的である。
当初からFIAの国際コース公認を取得する為に設計されていた。
つまり、何らかの世界選手権の開催を前提として、設計段階からJAFだけでなくFISA(国際自動車スポーツ連盟)などとも連絡を取り設計されていた。
その為、当初のレイアウトから、安全上の理由の為数度レイアウトの改善を求められている。

(AS 1986年6月1日号より)

当初、1986年5月末にコースが完工予定だったがFISAからの改善指示により、完工が8月、オープンが9月にずれこんだ。
そのため6月に初のビッグレースとして開催予定としていた全日本耐久選手権の開催は無くなっている。

その後、更にレイアウトの改善があり、ついに西仙台ハイランド・レースウェイが完成、1986年9月13日にオープンとなった。
(1988年の航空写真)
結果、コース全長は3771.9m、最大標高差37.3mのコースとなった。


最初のビッグレースとして、翌週の1986年9月20日に全日本ツーリングカー選手権第4戦が開催された。

翌年、1987年WSPCの仙台ラウンド「ワールド・スーパースプリント・イン仙台」は9月27日に富士スピードウェイで行われるWEC-JAPANの翌週である10月4日に予定されていた。
このレースには富士のWEC-JAPANの耐久から一転、名前の通り約360km(96周)のスプリントレースとして、行われる事となっていた。
仙台市と仙台市教育委員会が全面バックアップし、仙台市内のアーケードにてグループCカーの展示やパレードが行われる予定だったなど、仙台市も万全の受け入れ体制で臨んでいた。

しかし、富士のWEC-JAPANの終了直後に急遽仙台ラウンドのキャンセルが決定された。
コースの安全性が確保出来ず、国際レースコースとしての条件を満たしていないため。というのが理由だった。

開催に先立ち、FIAやJAFなどがコースの視察に訪れ、コースの改善点などを指摘しサーキット側も対応していたが、一部FIAとJAFでの改善点の基準の食い違いがあったという事もあり、プロモーターや運営会社の責任だけでなく、JAFなどにも落ち度が合ったのではと当時のモータースポーツ雑誌などでは指摘されている。
国際格式ではなくJAFによる国内格式によるレース開催も考えられたが、結局最初で最後となる仙台ハイランド・レースウェイでの世界選手権は行われることなく終わった。



8:45頃から当時のCM


つづく。

2013年3月6日水曜日

大朝国際サーキット(広島県)



大朝国際サーキット

広島の新サーキット、92年にオープン予定 サーキットを核としたレジャーおよび健康のための施設「ナムアLAND」の開発準備室として87年10月に設立された㈱ナムアでは、「大朝国際サーキット」を92年10月にオープンする予定との正式発表をした。
計画では、3.7km以上の国際格式サーキットのほか、精神のやすらぎを見つめる「聖地」をはじめ人びとが集い、食べ、遊び、やすらぎを見つける「ナムアハウス」、オートキャンプ場、スキー場、スポーツ村、食べ歩き村、ファッション村、ペンション村、健康村、国際交流学校などの施設を10年計画で進めるとのこと。
すでにサーキット用地の40万ヘクタールについては買収済みで、予算は45億円。最終的には85億円に達するという。
大朝町役場・企画室長の斎藤氏は「まだ協議段階であり、開発申請もまだです。しかし、町としては枚向きに検討を進めています。このような施設の場合、周辺の交通問題も出てきますので、県と共同で検討していきます。現場は森林地帯ですが、周囲に集落がふたつあり、約200人の住民の、騒音問題などこれから調整が進められると思います」といっている。
なお、「大朝サーキットクラブ」の理事長は横浜大洋ホエールズの古葉竹識監督、コース設計アドバイザーは、元レーシングドライバーの藤田直廣氏。「横浜にサーキットを建設するという話で協力しました。安全性が高く、高速コースをと考え、ストレートを長めにしました。アップダウンの関係でまだわかりませんが、平均速度がF3000クラスで180km/hくらい。鈴鹿よりも高速コースですね」と藤田氏はいう。
広島市内から50kmに予定されている「ナムアLAND」が、モータースポーツファンの「楽園」となることを期待したい。
詳細不明




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2013年2月14日木曜日

球磨郡山江村のサーキット(熊本県)


熊本県南部にサーキット建設構想 
九州自動車道の延伸見越して 
 熊本県南部の球磨郡に自動車レース用のサーキットを建設する構想が浮上してきた。このほど株式会社になった地域おこし組織に新相良藩カンパニー(本社熊本県人吉市、社長田中信考氏)が誘致しているもので、レーシングチームを所有している企業に働きかけを強めている。その企業は担当者を球磨郡山江村に派遣して、用地取得の打診を始めた。サーキットは一周4キロメートル程度で、100ha程度の用地を考えている。用地費は約1億5,000万円の見込みだが、関連投資を含めると総事業費は40億~50億に上るとみられている。現在は八代市まで開通している九州自動車道が64年に人吉市まで延びるのを見越した構想で、レースを月に2、3回、1回に2万~3万人の観客を集めたいという。(日経地域情報 1987年8月)



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タチバナサーキット(福岡県)

タチバナ・サーキット

九州に国際サーキットの建設計画が進行中

福岡県立花町辺春に国際サーキット建設の計画が進行中だ。
この「タチバナ・サーキット」(仮名)は、モータースポーツファンの平田博氏が立案したものだ。国道3号線沿いの山林120ヘクタールに、全長4km、コース幅12~15m、5万人の観客スタンドを65年末までに建設の予定。総工費は60億円、レジャー施設などの付帯設備を含めると90億円に達する。
昨年10月にそれまでの会社を退社した平田氏が、企業回りをした結果、日本舗道を始め、地元企業など5社の出資が可能になったとのことだ。
すでに地権者の同意を得ており、立花町役場では調査研究会を設立して協力する方針だ。
熊本、大分などもサーキット建設の計画が進められている九州だが、それぞれが順調に建設されると、まさに九州はモータースポーツ天国となりそうな気配だ。
(オートスポーツ 1988年 8/1号)

詳細不明



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2013年2月9日土曜日

南国スカイサーキット(高知)

南国スカイサーキット(仮称)

四国高知にサーキット建設計画1周6km、'89年にオープン予定
サーキット建設候補地として上げられているのは高知市内から国道32号線を20kmほど高松方面にむかった高知県香美郡土佐山田町の山間部。サーキット建設を進めているのは大阪の不動産会社「タケモト産業」で、国道32号線から東側の山林52ヘクタールが対処うち。
このうち26ヘクタールが町有地ですでに売却の仮契約は済んでいるとのこと。この土地を選んだことについて同社では、全国的なサーキット不足に加え、本四架橋や四国横断自動車道の建設計画が進み立地条件として土佐山田町が最適だから、というもの。
具体的なコース図はまだ発表されていないが、全長6~7km、5万人規模の観客収容能力を持つ国際公認コースを予定している。このため、同社では南国スカイサーキットという新会社を設立することになっており、総事業費は約60億円、早ければ2年後の89年に完成、オープンさせたいとしている。
地元の土佐山田町は誘致に極めて積極的で、小野進町長も「実現すれば、竜河洞の数倍の人出が予想でき、観光面はもちろん地域活性化などメリットは極めて大きい」と大賛成。
果たしてどのようなサーキットができるのか、今後の動向が注目されるところだ。
(オートスポーツ 1987年7/1号より)


大阪の不動産会社については、倒産したとの情報がある。

大体この辺りの山林ではないかと思われる。



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2013年2月5日火曜日

都城オートスポーツセンター(宮崎) [追記あり]

都城オートスポーツセンター (仮称)
距離:4.85km
 九州にサーキットふたつ!?
このところ日本各地でサーキット建設計画の噂が絶えないが、最近になって、熊本と鹿児島でも同様の計画が進められている事が明らかになった。
前者は九州産交(本社・熊本市、岡陽一社長)が手掛ける「阿蘇インターナショナル・スピードウェイ」(仮称)。
阿蘇外輪山付近に1周6kmのコースで、レジャー施設を含めた総工費は70~80億円。64年度中に着工し、65年度中にまず東コースを完成させるという。
後者は霧島山麓の山林を利用する「都城オートスポーツセンター」(仮称)。
コースの全長は4.85kmで"阿蘇"と同じくサーキットばかりでなくさまざまな施設を備えた総合レジャーセンターとして建設される。
65年度オープンを目指す計画そのものは関西の企画会社や不動産関係の会社が行なっているが、鹿児島市も全面的に協力する姿勢で、地元、市の資本による新会社も設立され、第3セクター方式で運営されるのが特徴である。
この計画が完成すれば、九州では初のサーキットになる。
(カーグラフィック 1988年 9月号より)
(※昭和64年→平成元年・昭和65年→平成2年) 

宮崎県都城市(みやこのじょうと読む)で計画されていたサーキット計画。
「MAC計画」と呼ばれるレジャー施設の一つだったそうだ。

MAC計画を許可 
 都城にサーキット場やゴルフ場 都城市西岳地区に計画されている総合レクリエーション基地建設(MAC計画)で、都城市は9月30日、大規模開発と林地開発に対する県の許可が同29日付で下りたことを明らかにした。
農地転用の許可を含め、これですべてクリアしたことになり、同市は平成8年度の完成に向け、順次工事に取り掛かる。
総事業費は3百億円以上見込まれ、バブル経済が崩壊した今、資金計画について心配する声も。今後の工事の進ちょくが注目される。
 MAC計画は63年にその内容が発表されたあと、2年9月に同市と山田不動産(大阪市)、大林組(同)が出資した第三セクター「マック開発」(資本金1億円)を設立した。
 計画は同市美川、高野町の山林約330ヘクタールを造成、F1クラスの自動車レースが可能な一周4.7キロのサーキット場をはじめ18ホールの本格的なゴルフ場、ホテルなどを建設する。
(92.10.1 宮日)
(http://miyazaki.4zen.jp/007/19/index.html より)
「レジャー産業 1991年12月号」に掲載されている91年末地点でのサーキットのデータとしては、コース距離4.15km、幅員12~15m、観客収容人数は6万~7万人、ピット数は50。
コースレイアウトに関しては掲載されていないが、コースは2つに分け別々に使用でき、コース内側にはカートコースが設けられているという。
レイアウトに関しては、"コーナーが多すぎて高速ギヤのチャンスが少なく、しかも直線が十分でなくてコーナー間が短い(中略)レーサー群には評価されないだろう。"とボロクソに言われている。
国際公認コースにしてはコーナーが多く、よく言えばテクニカルなレイアウト、悪く言えば平均速度が遅く抜けないサーキット。であったことだろう。

現在は予定跡地が「西岳モトクロス場」というオフロードコースとしてひっそりと使われているそうです。


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※追記2013/04/11