//---FB----
ラベル カートコース の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル カートコース の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年10月19日火曜日

最初期の日本カートレース

カート(Kart)が発明されたのは1956年8月。
アート・インゲルス(Art Ingels)・ルー・ボレッリ(Lou Borelli)によってアメリカのロサンゼルスで製作された。
インディカーなどのレーシングカービルダーだったアート・インゲルスは後に「カートの父」とも呼ばれている。
その小さなレーシングカーはカリフォルニアのレースですぐにお披露目され、そこから急速に広がっていった。

日本にカートが導入されたのは誕生から意外にも早く3年後の1959年で駐留米軍人が日本に持ってきた。
埼玉県朝霞市にあったキャンプ・ドレイクでカートレースで開催されたのが最初のカートレースだという記述がある。
ちなみにアメリカからヨーロッパにカートが導入されたのもほぼ同時期らしい。
最初は米軍人が中心となってカートレースを楽しんでおり、基本的に各基地内の敷地を使って走行を楽しんだりカート大会を開催したりしていたようだ。
1960年には"関東カーターズ カートクラブ"という関東圏の駐留米軍人や公務員などのカート同好者によるクラブが結成された。

調布飛行場に作られたカートコースの図(モーターファン 1960年6月号)

1960年 関東カーターズによるキャンプ座間でのカートレース
(Pacific Stars And Stripes / 1960-9-13)


同じく1960年には日本人によるカートクラブ"東京カーターズ"が結成。
これらのクラブは"Kart Club of America"を参考にした"日本カートクラブ" (Kart Club of Japan:KCJ)というカートの統括組織を作った。
当時カート国際統括団体としてアメリカで最初に結成されたIKF(International Kart Federation)のレギュレーションに準拠して日本でのカートレースを運営していたという。
他にも在日米国人カートクラブが数団体が存在していた模様。

これらのクラブが定期的にカート場として使われていた場所が朝霞市のキャンプ・ドレイクにあった。
場所はモモテビレッジのモモテ兵器保管庫という場所にあった"朝霞カートウェイ"と呼ばれているカートコース。1961年の9月に作られたという。

朝霞でのカート走行風景
(CARマガジン 1964年10月号)


朝霞カートウェイ (1961年~1969年の航空写真より)



全日本カート大会

1962年5月28日には「第1回全日本カート選手権大会」が開かれている。
場所は神奈川県川崎市の多摩川河川敷にあった東急自動車学校の教習所で、ここはもともと多摩川スピードウェイの跡地である。
多摩川のサーキットが廃止された後は多摩川スピードウェイのオーバル跡地周辺を使って教習所コースが作られていた時期がある。

東急自動車学校(多摩川スピードウェイ跡)
(1963年  国土地理院)

第1回全日本カート選手権大会の様子 
多摩川スピードウェイのスタンド跡が見える
第1回全日本カート選手権大会の様子
(モーターファン 1962年8月号)

このレースについての記録は少ないが、日本で行われた大々的なカート大会としては初めてだと思われる。
参加台数は46台で、半数が駐留している米軍人だったという記述がある。
最終レースは雨のため場所を変えてレースを行ったらしい(場所は不明)。

第1回全日本カート選手権大会 優勝者
クラス1 / クラス2:エラート軍曹
クラス3:バックランド軍曹
クラス4 / ブッシング:植松善雄
女性レース:モートン夫人
ジュニア:ロニー・モートン

2回目の大会は1963年5月12日に富士急ハイランドの前身である富士五湖国際スケートセンターに作られた"富士急行ハイランド・カートトラック"で開催された。
このサーキットはIKFの国際規格に沿って作られた日本最初のカート場とされる。

富士五湖国際スケートセンター(カート場はまだ建設されていない)
(1962年 国土地理院)

富士急行ハイランド・カートトラック
(モーターファン 1963年7月号)

富士急行ハイランド・カートトラック コース図 (同上)

富士急ハイランドのコースはIKFの国際規格に沿っており、"3分の1マイル(約530m)のコースに、60度以上のカーブを9ヵ所以上設け、ストレートは100m内外に押えて最低の安全性を保証するよう義務づけられている"と当時のコース紹介文にある。

第2回全日本カート選手権大会 優勝者
クラス1:ドナルト・エラート / 関東カータス (注:第1回優勝のエラート軍曹か)
クラス2:中村たけ彦 / 新宮商行ク
クラス3:リチャード・ショル / 関東カート
クラス4:マイケル・ルビン / 関東カート
クラス5:藤間吉弘 / 日本カート
ジュニア:藤井憲 / 日本カート
女性:栗田弘子 / 日本カート
第2回日本チャンピオン 中村たけ彦

第2回大会の参加台数は60台で、やはり半数の30台は駐留米軍軍人。
IKFの公認を受けたカート場での大会のため、IKFの公認レースにもなった。
この大会でチャンピオンになった中村選手は同年8月に行われたアメリカ・イリノイ州の世界選手権に日本代表として招待されたそうだが参戦したかは不明。

第2回大会に参戦したカート車両 (モーターファン 1963年7月号)


国際規格になる前のコース?(CARマガジン 1962年2月号)



この後"全日本カート選手権"が何度開催されたかは今の所わからないので、新しい事が分かり次第更新していきたい。

全日本選手権と銘打たれているのに記録が少ないのは、カートレースがJAF管轄になる以前の大会だからである。
カートの統括組織がJAFに移管されたのは1972年の事で、それ以前はアメリカで作られた初のカートの国際統括組織であるIKFの規定に沿った日本カートクラブ(Kart Club of Japan)が日本のカートレースを統括していた。
時が経ち1972年にはむつ湾スピードウェイのカート場で"日本カートプリ"が開かれ、1973年にJAFによるカートの全日本選手権が開かれている。
現在主流になっている統括団体のCIKは1962年に結成されている(2000年からFIA加盟団体になる)

当時日本カートクラブの会報誌があったそうなので、会報誌が今も現存していれば当時の光景がもう少し分かるかもしれない。

-関連文献-
・モーターファン
1960年6月号 
1962年8月号
1963年4月号 / 7月号
・CARマガジン
1963年2月号
・自動車ジュニア
1964年4月号
・Pacific Stars And Stripes
1960年6月24日 / 9月13日
1961年12月30日
1962年1月18日 / 4月12日
1963年1月27日
・国土地理院

-関連リンク-
スケートリンク資料室

2013年2月10日日曜日

猿ヶ京サーキット(群馬県)


猿ヶ京サーキット

猿ヶ京サーキット8月オープン
国道17号線猿が京にジムカーナ、カート併用コースがオープンする。
全長約1km、幅6~8mの舗装路、群馬県の三国山の東京より、赤田湖を眼前とする場所にあり、四季を通じて使用できるサーキットである。
この地方のモータースポーツファンは多いところから猿ヶ京レジャーランドに新たに開設されるものである。なお、当サーキットでは会員システムをとり、モータースポーツに力を入れていく方針で、ライセンス取得講習会、公認レースへの参加など企画している。オープンは8月上旬の予定で、仕上げを急いでいる。
群馬県利根郡新治村吹路新三田大橋下
(オートテクニック 1970年8月号より)
(※赤田湖→赤谷湖?)

建設されず?
住所と場所から、恐らくここら辺が建設予定地と推測。
(国土地理院 1971年の航空写真より)



大きな地図で見る

2013年1月20日日曜日

むつ湾・インターナショナル・スピードウェイ (青森県)

2013/1/20記事公開
2021/10/22 追記 

むつ湾・インターナショナル・スピードウェイ

所在地:青森県上北郡野辺地(のへじ)町
距離: 4.5km/4.8km(いくつか表記がある) 実測約3.8km  / ショートコース 約3km
ホームストレート:1600m
コース幅:20m
コーナー数:4(公称値)
4輪 左回り / 2輪 右回り 

(国土地理院 70年代の航空写真より)


青森県の上北郡野辺地町に存在したサーキット。
サーキットレイアウトは1.6kmのホームストレートを有しており、コーナーのRも比較的大きく超高速レイアウトである。
しかし、コース脇がすぐ海な為、砂や海水がコースに入り込み、水没することもあった。

オープニングレースとなった1972年ストックカーレースの際は、突貫工事の末に行われたためコース上もコンクリートウォールの代わりに土のうが積まれたり、路面のアスファルトが1層で下地の砂利が出てきたり、当時の写真を見ても建設途中のような様子が見受けられる。

オープニングレース
1972年 第1回むつ湾国際級ストックカー300kmレース大会


実際、開催当初の72年7月の時点では未完成だったようで、JAF公認はオープン後から少々遅れた模様。
その際にコースレイアウトについて"出来ればもっとテクニカルなものにするように"という指導がJAFから入ったということもあったようだ。
1973年のむつ湾グランド200マイルレースでは、もう1層アスファルトが追加されたようだがそれでも路面の凹凸はひどかったという。

(コース図、ただし実際のコースの形と異なる オートテクニック 1972年8月号)

(コース案の一つ? AS 1972/6/15)



現在の国土地理院の地図サイトで距離を測ると、メインのコースは約3.8km程度だったと推定される。
海沿いの1.6km(※)のホームストレートを抜けると、1コーナーは左125R、5度のバンクの上りのコーナー。
2コーナーは公称400Rとされているが、それ以下の2つのRのコーナーが組み合わされていると言われている。
3コーナーは右の400R、コース中間がくびれのような形になっている。
最終コーナーである4コーナーは入り口で右に少しターンしたあと、125R(公称)・バンク15度の左コーナー。外側はJR大湊線の線路と面している。
4コーナー出口付近は狭くなり20Rの下りコーナーである。
3コーナー辺り、最終コーナーから約500mの辺りにショートカットコースも作られる予定だったが、オープニングレースの時点では作られていなかった。 最終的に作られたかどうかも不明。
(※一部ホームストレート1.8kmという記述もあるが1.6kmが正しいと思われる)

(コース写真 オートテクニック 1972年8月号)
 

サーキットのオーナーは農事組合で元々「むつ湾観光牧場」という牧場を経営しており、その中には遊園地、動物園などがあったが隣接した土地にサーキットを建設するという流れになった。
コース設計は立原義次氏。
当時東北にサーキットが無く貴重な存在であった他、更に北海道スピードウェイが閉鎖された事もあり、北海道のドライバーが海を渡って本州のむつ湾に遠征しにくる事も多かったようだ。

(むつ湾グランド200マイルレースの様子  オートテクニック 1973年10月号)

超高速レイアウトであったが、二輪のオートバイレースも開催されている。
1972年の「第1回むつ湾オートバイグランプリ」はロードレース日本選手権の1戦として行われている。
オートバイレースでは右周りで使用された。 順走左回りの最終コーナー出口付近は下り坂になっているため、逆走にすると上り坂になって減速しやすいというのが理由だったようだ。
四輪のGCレースでも右回りやホームストレート上のシケインなどが検討されたようだが、本来の左回りのまま変更なしで行った模様。

1973年むつ湾グランド200マイルレースの様子

1973年のレースは8月で終わってしまったという。というのも9月は雨が多く、更に海岸沿いのためコースが使用不能になることが多かったようだ。
このような地理的な不利に加えオイルショックも相まって1973年で閉鎖されてしまったようだ。
現在コースの跡のようなものがうっすら残っている他、グランドスタンドの廃墟が残っている。

むつ湾・インターナショナル・カートウェイ

(国土地理院 70年代の航空写真より)
(以下オートテクニック 1972年11月号)


むつ湾スピードウェイに併設されたカートコース。
スピードウェイが閉鎖された後も使用されていたが、動物園閉鎖と共に閉鎖された模様。

オープニングレースは
「むつ湾スピードウェイ開場記念ねぶたまつり '72日本カートプリ大会」(1972/8/5-6)が青森県、青森ねぶたまつり協賛で開催されたという。
これがJAFが開催する日本初の"カートプリ"である。
1972年(昭和47)には国際交流の一環として'72日本カートプリが開催され、1973年(昭和48)には全日本カート競技選手権が開始されています。
http://www.jaf.or.jp/msports/intro/his_j.htm 







(カートプリ リザルト)



大きな地図で見る


-関連文献-
オートスポーツ 
1972 6月15日/10月15日
1973 9月1日/10月15日
オートテクニック 
1972 6月号/7月号/8月号/9月号/11月号 
1973 10月号
1974 3月号/4月号
日本の名レース100選 '72 むつ湾ストックカー
日本モーターレース創造の軌跡


-関連リンク-
二輪文化を伝える会  - むつ湾インターナショナルスピードウェイ
ヤマハニュース 1972年10月号 / 第1回むつ湾オートバイグランプリ