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2019年7月24日水曜日

マキシムスピードウェイ (沖縄県)

2019/07/24 記事公開
2021/02/18 記事追記

マキシムスピードウェイ
所在地:沖縄県中頭郡読谷村(よみたんそん)楚辺
全長:1.2km

(コース図 オートテクニック 1975年2月号)
沖縄にサーキット誕生、75年3月にオープニングレース
 日本の最南端の沖縄県にレーシングコースが誕生する。名称はマキシムスピードウェイ、場所は沖縄本島の中央部にある読谷(ヨミタン)村辺で1周は1.2km、幅員はストレートが11m、コーナーが9mというもの。30RのヘアピンS字コーナーなど大小9つのコーナーのあるテクニカルコースで、最高スピードは150㎞/hの設計になっているとのこと。左右のグリーン地帯はそれぞれ4mづつあり、将来はコース幅員を広げる計画がある。
 沖縄県の場合、モータースポーツはまだ盛んとはいえないが、主要交通機関は自動車なので18才以上の自動車免許取得率は高いという。現在レーシングチームマキシム(RTMー森田耕司会長)がJAF加盟クラブとして160人の会員をようして活動している。75年3月に予定されているオープニングレースもRTM主催で行なわれることになっている。現在Aライセンスを取得している者は30名ほどとのことで、今後講習会を開催して、有資格者をふやしていくことになっている。同時にレーシング仕様のツーリングカーの中古車などが入ってきているとのこと。75年レースカレンダーには5月、12月にマキシムスピードウェイのレースが登録されているが、現在は臨時トラックで、できるだけ早い期間に公認をとりつける意向だ。 (オートテクニック 1975年1月号 p13)

アメリカ統治下の沖縄では50~60年代、在日米軍人を中心に嘉手納基地などで自動車レースが行なわれていたという。
アメリカ統治下の沖縄で開催された「沖縄グランプリ」

1972年に沖縄県が日本に復帰してから3年後、小規模ながらサーキットが作られた。
建設の主体となったレーシングチームマキシムは沖縄内でラリーなどを開催していたようだが、このサーキットでサーキットレースやジムカーナ競技などを行なったようだ。
1975年には6レースがJAFのカレンダーに登録されていた。

(1975年5/25のマキシムグレーテッドドライバーカーレースの様子 オートテクニック 1975年7月号)

ただし、サーキットはかなり短命だったようで1977年の国土地理院による航空写真を見ると、サーキットの姿が無く跡地ですでに宅地開発が始まっており、サーキットの形がしっかりと確認出来るものはおそらくない。

(推定地 https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1085798)

なお、JAFのリザルト記録には1976年7月25日に"スポーツランドオキナワ"という開催地で「マキシムツーリングカーレース」というレースが行なわれている記録がある。
実際のところ、このスポーツランドオキナワがマキシムスピードウェイを指しているかは定かではないが、レース名にクラブ団体の名前も入っている事からサーキットが改名されて使用されていたのではないかと思われる。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/race/result.cgi?race_id=1976000177