厚木サーキット 海老名に建設計画地元PTA猛反対 "騒音"、青少年に悪影響相模川河川敷き利用 地主側に賛成の声も 町当局の構え慎重高座郡海老名町中新田の相模川河川敷きを利用して「日本カーレース会社」(仮称)=本社・東京都渋谷区神宮前五丁目四六ノ一八、発起人代表・加賀山之雄元国鉄総裁=が「厚木サーキット」(仮称)を建設する計画をたて、このほど発起人の中村年郎氏(鹿島建設顧問)らが海老名町を訪れ、田野口町長にサーキット建設の同意を求めた。これを聞いた海老名町PTA連絡協議会(七PTA、大野新一会長)は二十日緊急役員会を開き、サーキット建設には絶対反対の態度を申し合わせ、二十一日町、町議会へ建設に反対するよう陳情した。河川敷きの高度利用と騒音、教育現場の悪化とが真っ向から対立し、地元PTAは高座郡PTA連絡協議会にも呼びかけるなど態度を硬化させているが、地主のなかには賛成派もあり、町当局もサーキット進出には慎重な構えを見せている。(神奈川新聞 1965年9月22日)
厚木サーキットは、神奈川県高座郡海老名町、現在の神奈川県海老名市に計画されたサーキットである。
計画地は厚木駅から約1km南に位置する河川敷と民有地で、現在の海老名インターチェンジ付近の河川敷だと思われる。計画当時は荒れ地だったという。
事業計画では、中新田地内46万4千平方メートル、うち河川敷21万4千平方メートルを利用し、一次建設資金13億8921万8千円を投じる大規模なものだった。コースは幅10~15m、全長3.2kmで、8万2500平方メートルの駐車場、収容能力10万人のスタンド、自動車整備工場、クラブハウスなどが計画されていた。
「日本カーレース会社」の発起人に連ねる一人として、元国鉄総裁の加賀山之雄がおり、それに関連してか国鉄相模線の厚木駅と社家駅の間に「厚木サーキット駅」を設置する計画も描かれていた。
また、発起人の一人に山西喜一郎という人物がおり、山西氏は1963年には㈱日本ストックカー協会の代表としても名が見え、同協会は箱根国際自動車レース場の計画に関係していた団体である。
なお、記事中にもある通り計画地の近隣にある7つの小学校・中学校のPTAによる猛反対を受けており、すぐに神奈川県議会に議題として上げられている。
PTA側の反対理由も、単なる騒音問題にとどまらず、陳情書では「見知らぬ多くの人たちの出入り」「はでな服装」「向こう見ずな行動」「一発勝負的な考え」「危険を無視したスピード」「耳をおおう騒音」などが青少年に悪影響を及ぼすとしており、当時の自動車レースに対する社会的な警戒感も見て取れる。
「厚木サーキット」 県で不許可騒音の被害大きい 河川敷き"公共利用"にも反する 今後も認めない県は「日本カーレース会社」(仮称)=発起人代表・加賀山之雄元国鉄総裁=が高座郡海老名の相模川河川敷きを利用して建設しようとする「厚木サーキット」に対して、土地利用対策委員会で河川敷き占用許可を与えるかどうか検討していたが、公害、教育、衛生などあらゆる行政分野で好ましくないとの結論に達し、三十日までに加賀山発起人代表、海老名町など関係者に通告した。県では同様に、今後、場所のいかんを問わず、県内にはサーキット建設を許可しない方針を決定した。(神奈川新聞 1965年10月1日)
このサーキット計画については、当初一部地主が土地売り渡しへ同意する動きもあったが、最終的には地主の大部分や砂利採掘権を持つ組合も反対に回ったと報じられている。
県は船橋サーキットや鈴鹿サーキットへの現地調査も行ったうえで、厚木サーキットに河川敷き占用許可を与えない方針を決定した。理由としては、騒音、し尿処理、交通渋滞、農地・県蚕業試験場への影響、そして河川敷きの公共利用方針に反することなどが挙げられている。
結果として(当時の)神奈川県の方針としてサーキット建設については今後も一切の計画を認めない方針を定めた。
この計画は神奈川県におけるサーキット建設そのものへの姿勢を決定づけた事例だったともいえる。
ちなみにこの記事では以前に津久井町の計画(現、相模原市緑区。おそらく力道山のサーキットか)を却下した前例があるという記載がある。
-参考文献-
神奈川新聞
1965年9月22日/10月1日
昭和40年9月30日 神奈川県議会9月定例会議事録第5号