外周コース約700m (750mという表記もある)
元々は始まりは琵琶湖大橋たもとにあったドライブイン、「ビック」の広場を借用してジムカーナ競技を始めたのがきっかけだったようだ。
8月4日OCCKが、琵琶湖大橋のたもとにあるドライブインの広場――ビワ湖スピードランド――を借りて開催したのがきっかけとなって、今後、ここでのハイスピード・ジムカーナが盛んになりそうだ。 (JAFスポーツ 1967年)当時ドライブイン広場はダートになっており、当時のジムカーナレイアウトが掲載されている。
当時開催されたジムカーナのレイアウト例 |
広場時代の写真 土煙をあげている事からダートだという事がわかる |
そのドライブインを経営していた名神観光㈱がサーキット建設を決定、広場をサーキットとして改築することとなった。
9月末完成を目指し、現在舗装工事中。これが完成すれば、約26,400㎡の競技コース、付帯設備としてガードレール(コース周囲全部)、フェンス、パドックスペース、クラブハウスなどもある一大ジムカーナコースとなる。 (JAFスポーツ 1967年)
1972年の航空写真より |
こうして、完成されたびわ湖スピードランドは外周700mのオーバル状コースからインフィールドに様々な浮島が設置されたようなジムカーナコースとなっている。
一番緩いコーナーが48R、キツいコーナーが1.5R、コース幅は9~21mである。
なお、中央の島には鳥居のマークがあるので、何かが祀られていたのではないかと思われる。
詳細なコース図(オートテクニックより) |
コース写真(オートテクニックより) |
貴重な当時のサーキット映像がYouTubeにアップロードされていたので紹介したい。
途中から南側に遊園地ができ、「レークビワハイランド」という遊園地としてオープンしていたようである。
パドックスペースも一部遊具に潰されたようだ。
1975年の航空写真より 南側に遊園地が出来た |
主にジムカーナ競技が行われているが、その他、ゴーカート、そしてストックカーレースも外周コースで開催された。
特筆すべき点としては、日本で初めてスリックタイヤが導入されたのがこのレークビワハイランドで行われたストックカーレースであった。
ただし、レースはかなりの大雨に見舞われ、レースが途中で中断、終了されるという程だったので、実際レースにスリックタイヤは投入されていないと思われる。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1711
サーキットとして、いつまで存在していたかは定かではないが、ゴーカート場としては使われていた様子である。
しかし、1982年の航空写真では既にサーキットの一部がテニスコートによって潰されている様子が見られる。
遊園地のゴーカート場としては最後まで使われていたようだ。
1982年の航空写真 何らかの用途では使われているように見える |
その後、別のテーマパークに転用されるなどして、サーキットは駐車場となってしまったという。
現在は、不名誉にも開店休業状態でネット上で有名となってしまったショッピングモール「ピエリ守山」の駐車場となっている。
※カート場「琵琶湖スポーツランド」とは別である